先日、私たちはとても懐かしいゲストをお迎えしました。2007年から2009年にかけてプロジェクトの創成期を支えたメンバーの一人、大柳さんです。現在は沖縄、石川を拠点に経営者として活躍されている大柳さんがNVICのオフィスを訪ねてくれました。奥野、酒見、長原、そしてNVICのメンバーが集まると、話題は自然と2007年のプロジェクト始動当時のことに。「あの時は本当に大変だった」「今だから笑えるけれど」そんな飾らない会話の端々に、私たちが今も大切にしている「NVIC」の原点が詰まっていました。当時の空気感をそのままに、当日の対談の様子をお届けします。
1997年農林中央金庫入庫。資金為替部、システム企画部を経て、株式投資「アルファ・チーム(現・NVIC)」に参画。その後、独立系アセットマネジメント会社を経て、2019年に資産運用会社の設立に参画し、取締役に就任。
1992年日本長期信用銀行入行。長銀証券、UBS証券を経て2003年に農林中央金庫入庫。2007年より「長期厳選投資ファンド」の運用を始める。2014年から現職。
2000年に農林中央金庫に入庫。支店での法人融資業務を経験後、約20年に渡り一貫して内外株式運用業務に従事。特に2007年からはNVICの前身となる株式長期厳選投資にかかるベンチャープロジェクトに参画。企業投資部長を経て2023年より現職。
1999年三和銀行(現三菱UFJ銀行)入行。国内外証券を経て2009年に農中信託銀行入行。ロンドン留学後、2018年にNVICに出向。
本日は、このプロジェクトの数少ない創成期メンバーの御一人である、大柳さんにお越しいただきました。まずは私から大柳さんの経歴をご紹介します。1997年4月に農林中央金庫に入庫され、資金為替部で外貨のトレジャリー業務を経験したあと、システム企画部でBIS規制関係のシステムの運営、管理等をご担当されました。
その後 2005年に株式運用部門に移り、そこでインハウスの日本株ファンドの運用を始められました。2009年、奥野さんと酒見さんのチーム、当時「アルファ・チーム」と呼ばれたチームに参加されましたが、2011年にご家庭の事情で退職し、沖縄に移住されました。沖縄では独立系アセットマネジメント会社を経て、2019年2月に沖縄で資産運用会社の設立に参画し、取締役に就任し、グループ内異動を経て現在に至ります。では、大柳さん、よろしくお願いします。

ご紹介にあずかりました、大柳です。本当に懐かしいですね。私が農林中央金庫に入庫した際は、理系出身ということもあって…。
理系でいらっしゃったのですか?
数学科出身だったかと思います。
そうです。リスク管理システムやテクニカルな手法を使ったヘッジファンド運用が花盛りだった時代でもあり、そういった分野で力を活かせればと思っていました。ただ、配属されたのは市場部門。トレジャリー部門で来る日も来る日も外貨の資金繰りに明け暮れていました。きつい仕事でしたが、今思えば充実した時期でした。その後、システム部門を経て、株式運用部門へ異動となり、当初は外国社債のファンドを担当しました。そこで向かいの席にいらしたのが奥野さんでした。
そうでしたか。当時は私がオルタナティブ投資を担当していた頃ですね。

私はその後、日本株チームに移り、酒見さんと一緒に日本株のファンドを担当することになりました。当時はPERやEPSといった価格ベースの動きを追い、インデックスを上回ることを目指す投資が主流でした。しかし、EPS、PERなどを当てにいくことに疑問を感じ始めていました。その後のリーマン・ショックで株価が暴落する中で、「絶対リターンで勝てなければ意味がない」という問題意識が強くなりました。そんな時、奥野さんが「アルファ」、つまり絶対リターンの追求と集中投資という、非常に尖った投資を手掛けるということで声をかけていただき、このチームに参加したのです。
プロジェクト立ち上げ当時の舞台裏

これが、絶対リターン型・長期厳選投資ファンドの立ち上げが意思決定された時の資料です。投資枠は相当な額で、実は日本株だけでなくアジア株も含まれていました。当時の役員の狙いもありましたが、私の記憶では、奥野さんはアジア株には乗り気ではありませんでしたね。この戦略には馴染まないと。それでも「やってくれ」ということで、日本株とアジア株で半々の投資枠で意思決定されたのが、NVICの始まりなんです。
資料を見ると、戦略定義として「強いビジネスモデル」「長期的に良好なキャッシュフロー」「誠実なマネジメント」という3つが掲げられています。
今とそんなに変わっていませんね。
DCFのスプレッドシートは今でも原型が残っているんですよね。
ええ、今でもDCFのやり方を改良しながら使っています。昔のフォーマット自体が残っている。私がExcelで全部作りました。
酒見さんは最初からチームの一員だったのですね。
はい、奥野さんと一緒でした。
酒見さんと、もう一人の同僚と3人でチームを組みました。私は2007年4月のこのチームの前は、別の部署でオルタナティブ投資を担当していました。

酒見さん、いきなりメンバーに選ばれてどう感じましたか?
当時は「なぜ私が?」という感じでした。しかし、新しいプロジェクトに参加できることを意気に感じていました。特に印象に残っているのが、多くの役員が参加する農林中央金庫社内の最高投資意思決定会議でのプレゼンです。当時の役員が主導していたこともあり、注目度もプレッシャーも相当なものでした。役員が勢ぞろいする場で、奥野さんがプレゼンに臨む際に「酒見も来るか」と連れて行ってもらったんです。会議室の後ろの席で聞いていたのですが、他の議案の説明とは全く異なり、奥野さんのプレゼンには純粋な情熱が込められていて、非常に強い衝撃を受けました。このプレゼンに立ち会ったことで、私の中に覚悟が生まれたような感覚です。このチームに迷惑はかけられないと、心を入れ替えました。

そもそも、このプロジェクトは最初誰も賛成しませんでした。その中で、当時の投資部門のトップだけが「いいじゃないか、やってみれば」と後押ししてくれたのです。彼が賛成すると、面白いように周りの意見も変わっていきました。もちろん、それまでの私の実績を見てくれていたのだと思います。個別企業の価値評価で失敗がなかったことなど、積み重ねがあったからこそ「やってみろ」と言ってくれたのでしょう。この経験から、私は誰かが「やりたい」と言った時、その人が誠実であれば基本的に反対しません。それは、当時の上司から学んだことです。
危機を乗り越えて
2007 年にチームが始動し、すぐに2008年のリーマン・ショックが訪れました。

組織全体としての危機感は相当なものでしたが、我々にとっては転機でした。市場の暴落によって、それまで高値で買えなかった「いい会社」が適正水準まで下がってきたのです。そこでFA(ファクトリーオートメーション)関連の世界的企業などを新たに組み入れました。
まさに好機でした。
そして、大柳さんがチームに加わったのですね。

チームに入って感じたのは、手法が全く違うということ。「美人投票」的な株価の動きではなく、企業の本質的価値(バリュー)を見に行く。バフェットの思想そのものでした。自分たちが描いたストーリー通りに資本が蓄積されていくなら、マーケットの動きに一喜一憂する必要はない。朝の発注業務が終われば、その後はもうマーケットを見ないんです。株価が下がれば「買い場到来」と捉え、冷静に価値を見極める。そんな日常でした。
ところで、我々のファンド「Oasis」の名付け親は大柳さんだと聞いています。
みんなで色々案を出して議論に疲れていた時に、大柳さんが「Oasisがいいと思います」と。じゃあそれでいこう、と(笑)。
当時、パフォーマンスが上がらないアクティブファンドが多い中で、それに対するアンチテーゼとして、投資家の拠り所となる「オアシス」でありたいという想いを込めました。決して適当に言ったわけではありません(苦笑)。

震災時の対応と顧客への想い
2011年には東日本大震災が起こりました。
その頃、大柳さんが退職され、チームは奥野さんと私の2人になっていました。相場が大きく動くため、毎日発注せざるを得ず、2人での対応は本当に大変でした。
震災が起きたのは金曜日でした。その週末に、投資先企業全社の工場がどこにあるかをすべて調べ、震災の影響を分析しました。そして、企業価値の観点から見れば影響は限定的であることをお客様に説明するための資料を作成し、報告に回りました。自分の資産がどうなっているか、投資家は一番気にしています。その時にタイムリーに報告することが何より大事なのです。
この経験が、コロナ禍で始めた「おおぶねメンバーズカンファレンス」につながっています。不安を感じている投資家の皆様に、直接ご報告しなければならないという想いは、この時の経験が原点です。

創成期メンバーから見た現在のNVIC
あれから14年。今のNVICは大柳さんの目にどう映りますか?
会社として独立した時も衝撃でしたが、ファンドサイズも大きくなり、戦略が多くの人々に支持されていることを聞いて、本当に嬉しく誇らしく思います。創成期にチームの一員でいられたことを光栄に感じます。先日「アナリスト憲章」を拝見しましたが、当時のポリシーがそのまま言語化され、貫かれていることに感銘を受けました。

Q&A
当時、一番印象に残っている企業は?
信越化学工業です。特に創業家の金川氏の経営哲学に感銘を受けました。不況で競合が工場を閉鎖する時にこそ投資を行い、好況期にシェアを奪う。その強さに惹かれました。初めて会社を訪問した際、質素な会議室に通され、そのDNAが細部にまで現れていることに逆に感動したのを覚えています。本を読むだけではわからない、企業訪問でDNAを感じるという最高の経験でした。

最後に

NVICは何とか大きくなりましたが、目指す場所からすれば、まだまだです。これまで多くの困難がありましたが、振り返れば我々は非常に幸運だったと感じます。その時々で助けてくれる人がいました。仕事は苦しいのが当たり前ですが、最終的には大丈夫だという妙な楽観性も持ちながら、プロジェクトは前に進んでいくものだと感じています。また、今日大柳さんが来てくれたのも、酒見さんがずっと連絡を取り合っていたからです。この「つながり」がなければ今日の場はなかった。若い皆さんには、こうした人とのつながりも大事にしてほしいと思います。
若い皆様にお伝えしたいのは、「企業分析に没入せよ」ということです。投資哲学を貫き、仮説検証を愚直に続けてください。そうすれば企業が「推し」になり、あるべき姿が見えてくるはずです。
また、投資以外の仕事もNVICの成長には不可欠です。頼まれた仕事は、信頼の証です。それをありがたいことだと捉え、自分の幅を広げていってほしいと思います。


プロジェクトの歩みは、順風満帆に見えても実際は「球際(たまぎわ)」の連続でした。リーマン・ショックや東日本大震災など、それぞれの局面で、なんとかボールを自分たちの方へ手繰り寄せ続けてきたからこそ、今があります。仕事においては、そうした重要な局面があちこちにあります。その瞬間を見逃さず、自分のものにする。それが会社と個人の成長につながると信じています。私自身もその心構えであり続けたいと思います。
あとがき
「順風満帆に見えても、実際は球際(たまぎわ)の連続」対談の最後に酒見が語ったこの言葉が、印象的でした。今のNVICがあるのは、決してスマートな戦略だけがあったからではありません。危機のたびに、逃げずに踏ん張り、ボールを手繰り寄せてきたからこそ、今のNVICがあります。
そして何より、大柳さんが退職された後も、こうして酒見が連絡を取り続け、笑顔で再会できる関係が続いていること。仕事だけでなく、こうした「人のつながり」や「誠実さ」も創成期から変わらない私たちの財産なのだと感じました。大柳さんが命名された「オアシス」という名前に込められた想いを胸に、私たちはこれからも前に進んでいきたいと思います。
